トップページ > トラウマ・PTSD研究 > 攻撃性の中核・戦うか逃げるか
第1節.
トラウマの中核には、生死に関わる恐怖、激しい怒り、希望を失った絶望、そして痙攣や震えなどの生理的な混乱が含まれています。こうした危機的状況において、生き延びるために発揮されるのが「攻撃性」です。この攻撃性には二つの種類があります。
一つ目は、防衛の第一線で働くもので、大脳辺縁系が関与し、交感神経が過剰に活性化することで引き起こされる「戦うか・逃げるか」の反応です。これは、過覚醒の状態で、目の前の危機に対して瞬時に対応しようとする本能的な反応です。
二つ目は、防衛の第二線で発動し、大脳辺縁系と脳幹が関与する「凍りつき」や「死んだふり」からの過剰な覚醒反応です。この状態では、極度の不動状態から一転して、激しい攻撃性が発揮されます。これは、生き延びるための最終的な手段であり、普段の自分では考えられないような力を引き出す、いわゆる「火事場の馬鹿力」や「窮鼠猫を噛む」という現象に例えられます。
神経学的に見て、攻撃性が引き起こされる仕組みには、トラウマを抱える人の交感神経と背側迷走神経が過剰に行き来することが大きく関わっています。この動きは、目の前の攻撃者や危険な状況に対して反撃するか逃走するか、あるいは追い詰められた状況で生死に関わる選択を迫られたときの対処法に繋がります。特に解離傾向が高い場合、攻撃性が独立した人格のように振る舞い、背後から他人や外の世界を冷静に観察しているかのように作用します。
本来の人格は、恐怖や脅威によって凍りつき、まるで空っぽの殻のようになってしまいますが、その瞬間、抑え込まれていた怒りの感情が表に出て、攻撃性を伴って行動することがあります。このプロセスは、トラウマを抱える人が極限状態で自らを守るための無意識の反応であり、生存本能が引き起こすものです。
第2節.
「戦うか逃げるか」の反応は、トラウマを抱える人が酷い言葉を受け、激しい怒りが湧き上がるときに表れる攻撃性や、敵と戦う際に発揮される防衛的な反応です。この攻撃性は、対人関係の中で嫌悪感や反発心として現れ、相手とやり合うことが繰り返されます。交感神経が過剰に働くと、過去のトラウマで感じた怒りが再燃し、まるで肉食動物のように鋭い目つきをして敵に対抗し、自分を守ろうとします。
危険を感じると、緊張が高まり、恐怖心が増幅します。逃げ場がないと感じた場合、体が硬直し、呼吸が浅く速くなり、心臓が激しく鼓動します。この状態では、理性が働きにくく、興奮が全身を支配します。血流が急激に増加し、四肢の筋肉は戦闘や逃走に備えて活性化されます。時には、相手に言葉で強く反撃したり、打ち負かそうとする行動に出ることもあります。
第3節.
敵と戦って手足をばたつかせても勝ち目がないと感じたとき、頭の中が混乱し、すべての希望が断たれた瞬間、人はまるでブレーカーが落ちたかのように動けなくなります。身体は不動状態に陥り、凍りつき、死んだふりをするかのように完全に機能停止しますが、実際には体内に膨大なエネルギーが滞留しているのです。この凍りつきや機能停止から覚醒するとき、そのエネルギーが震えや痙攣を通して身体に現れ、命を取り戻すかのような感覚が生じます。
しかし、理性的な脳がまだ働かない場合、その覚醒は制御不能な行動へとつながることがあります。たとえば、敵が隙を見せた瞬間、激しい攻撃性が発揮され、背後からの攻撃や、方向性の定まらない逃走反応といった自暴自棄な行動を引き起こすことがあるのです。こうした攻撃性が発揮されると、目はまるで爬虫類のように鋭く、ギョロギョロと周囲を警戒しながら、飛び掛かるような激しい攻撃を繰り出します。この状態では感情や行動の統制が利かず、自傷や他害のリスクが非常に高まる危険があります。
凍りつきや死んだふりからの覚醒に伴う攻撃性には、まるで殺意にも似た強烈な衝動が伴います。背側迷走神経によって一旦ブレーキがかかり、不動状態から一転して過剰な覚醒が引き起こされると、この反応は、時として凶暴な人格によって担われることがあります。普段の日常生活を送る主人格の意識が飛ぶか、離人状態に陥ると、凶暴な人格が身体を支配し、周囲を見渡して「ここはどこだ?」や「これは俺の体じゃない」といった言葉を発することがあります。
凶暴な人格は、主人格との間で主導権を巡る争いが起こる際、手足を押さえつけられると唸り声をあげ、反発します。この人格に乗っ取られると、口元が不気味ににやつき、身体が自動的に動き出します。激しい攻撃性は、まるでとぐろを巻いた蛇のように残忍で、手がつけられないほどの凶暴さを見せます。
その時、頭の中ではまるで砂嵐のような混乱が渦巻き、身体には怒りや攻撃性、恨み、苦痛、恐怖など、複雑な感情が渦巻いています。最終的には極限の状態に達し、混乱と絶望に飲み込まれてしまいます。
第4節.
爬虫類脳に支配されている人は、身体的にも特徴的な反応を示します。まるでとぐろを巻いた蛇のように緊張し、常に興奮状態にあります。彼らの目つきは鋭く、爬虫類のように大きく見開かれ、周囲をギョロギョロと凝視し続けます。口元には不気味なにやつきが浮かび、自分の顔を無意識に触れることがよくあります。また、周囲に対して過剰に警戒しているため、常に敵意を抱き、飛び掛かるような激しい攻撃性を示すことがあります。
彼らは怒りを抑えることができず、爪を立てて自分の体をかきむしったり、拳を握りしめてその怒りを表現します。このような状態では、統制が利かず、自暴自棄になりがちで、自傷行為や他者への攻撃に走ることもあります。独特な癖や仕草、唸り声を発することも多く、内面では混乱と絶望の渦に巻き込まれているのです。
第5節.
トラウマを抱えながら、虐待やいじめに耐え続けると、加害者に対して反撃しようとする攻撃性が、次第に自分の中に押し込められていきます。何度も繰り返されるトラウマ体験により、胸が潰されそうな感覚や、粉々に砕かれるような感覚を味わう中で、その攻撃性(加害者に立ち向かおうとする別の自分)は、少しずつ大きく育っていきます。こうして内に閉じ込められた攻撃性は、まるで内部被曝のように、身体の中から絶えず自分自身を攻撃し続け、心身ともに安心して過ごすことができなくなります。
人の悪意によって育てられたこの攻撃性のモンスターは、心の奥底に潜みながら、周囲のすべてを破壊しようと狙っています。そして、心の暗い深淵から這い上がろうとするその存在が現実に現れるのを阻止するために、内部の他の人格たちが常に監視を続けなければなりません。これは、トラウマによって分断された心の中で起こる絶え間ない葛藤です。
トラウマの被害者は、現実の加害者だけでなく、加害者に立ち向かった自分自身の攻撃性にも追いかけられているように感じることがあります。この攻撃性、つまり過剰な覚醒状態にあるとき、被害者は恐怖や怒り、怯えによって首や肩がガチガチに固まり、結果的に慢性的な痛みを引き起こすことも少なくありません。攻撃性を無理に抑え込むことで、身体の反応は次第に鈍くなり、本来戦うために必要なエネルギーが枯渇し、慢性的な疲労感に苛まれることもあります。
トラウマ体験が生む攻撃性は、被害者自身を守るための本能的な反応ですが、それが抑制されることで心身に深刻な負担をかけ、身体的にも精神的にも消耗させます。このように、加害者との戦いだけでなく、自分の内側に潜む攻撃性とも向き合わなければならないという、二重の苦しみが被害者を取り巻いています。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平