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虚脱感と生きながら死んでいる感覚:心身の崩壊


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慢性的にトラウマを受けている人は、生きているという実感や人生に積極的に関わっているという感覚のないまま、ただ型通りに生きているかのようだ。このような人々は、その実存の中心は空虚である。ある集団レイプの被害者が、最初のセッションで私にこう言った。「私は散歩に出かけることができます。でもそれはもう私ではないのです・・・私は空っぽで冷たくて・・・死んだも同然です」。

  • ピーター・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ』

 第1節.

機能不全家庭で育つ子どもが背負う心身の重荷


子どもが虐待する親や暴力的な兄弟など、機能不全の家庭で育つと、心身に大きな影響を受けます。このような状況で、子どもは戦ったり逃げたりすることができず、ただ耐えるしかないことが多いです。歯を食いしばり、感情を抑え込んで耐え続けるうちに、健全な成長が阻まれ、心と体に深いトラウマが蓄積されます。

 

外傷体験が繰り返し再演されると、子どもは自分を守るために常に防御的な姿勢を取り続け、心身はその状態に固定されてしまいます。その結果、トラウマ症状はますます複雑化し、解消されないまま長期間にわたり心に重くのしかかります。

 

こうした脅かされる状況が長年続くと、心と体は次第に衰弱し、免疫力も低下します。その結果、原因不明の身体症状が現れ、さらには脳や身体の神経発達にも影響を与えます。心の中で解消されない葛藤が深まると、いずれそれが限界に達し、精神疾患や身体疾患、あるいはパーソナリティ障害などを引き起こすこともあります。

 

1. 深刻なトラウマがもたらす身体と心の凍結

 

複雑なトラウマを抱えた人は、脳と体が「この世界は危険だ」と認識し、逃げ場のない状況に追い込まれていきます。身体がガチガチに固まり、動けなくなるのです。脅威を避けようとする防衛反応が常に働き、過剰に警戒し続けます。しかし、他人から理不尽な扱いを受けたり、酷い経験をしたりするたびに、ストレスに立ち向かうためのエネルギーは徐々に消耗していきます。

 

どんなに過酷な環境でも、無理をして頑張り続けることで、交感神経が酷使され、ついにはエネルギーが尽きます。その結果、心臓の働きが鈍り、心拍数や血圧が低下し、手足の筋肉も衰弱していきます。心身が疲れ果て、感覚が麻痺してしまうと、喜びや楽しさといった感情を感じることができなくなり、日々の生活は、ただ眠り続けるだけの状態に変わってしまいます。

 

やがて、身体の衰えが進み、起き上がることさえも大変になり、動くのが苦痛に感じられるようになります。それでもなんとか動こうとしますが、ついには「もう無理だ」と心が折れ、自分が生きているという感覚すら失われてしまいます。生きていながらも、まるで死んでいるような状態に陥るのです。

 

この暗闇の中で何年も過ごすと、絶望や無力感がさらに深まり、身体はますます重く怠くなります。そして、焦燥感に駆られながらも、動けない自分に対する苛立ちと疲弊が積み重なっていきます。

 第2節.

逃げ場のない子ども時代:心と体が凍りつく瞬間


幼い頃、家庭や学校が逃げ場のない場所だと感じながらも、逃げ出すことができず、その場に留まり続けなければならなかった子どもたちがいます。学校では、他の子どもたちと同じことができないことで恥ずかしい思いをし、家では、暴力や虐待を振るう親や兄弟との生活に追い込まれ、感情は極限に達し、激しい怒りや復讐心を感じるようになります。この過剰な覚醒状態は、感覚を過敏にし、些細な刺激にも強く反応してしまうようになります。

 

しかし、理不尽な扱いに抗議したり、何かを言い返したりすると、さらに酷い仕打ちを受けるため、子どもは本能的な感情や攻撃性を抑え込むしかありません。その結果、自分の内に湧き上がる感情を麻痺させるようになり、感情を出すことを抑制し続けることで、体は常に緊張し、ついには筋肉が固まり、身体がガチガチに凍りついたようになってしまいます。

 

1. 「凍りつき反応」とは何か:恐怖と不安に囚われた心身の状態

 

「凍りつき」とは、強い恐怖や不安によって心身が固まってしまう状態です。この状態では、他人の視線や行動に過剰に警戒し、攻撃されるのではないかという恐怖や、その攻撃から逃げられないという不安に囚われています。無意識のうちに、その脅威からどうにかして逃れようとするものの、心と体は動けなくなってしまいます。

 

この「凍りつき」状態では、交感神経(アクセル)と背側迷走神経(ブレーキ)が過剰に拮抗し、体内に大きなトラウマエネルギーが滞ってしまいます。ショックを受けて凍りついていると、身体は無意識に力が入りすぎ、筋肉は緊張し、神経が過敏になります。その結果、吐き気や頭痛に悩まされるだけでなく、突然涙が出たり、逆に何も感じなくなったりします。まるで生きた感覚が消え、心も体も麻痺して、日常生活の中で半分眠っているような状態に陥ることもあるのです。

 

この「凍りつき」は、心と体が安全を求めるための必死の防衛反応ですが、それが長引くと深刻な苦痛を伴い、日常生活に大きな影響を与えることになります。

 

 第3節.

押し殺された感情が心身を蝕む:虚脱状態がもたらす心と体の崩壊


人生に行き詰まり、心の奥にある本音や激しい感情を押し殺し続けると、やがて身体にも影響が現れます。喉が詰まるように感じ、息が吸えず、胸が締め付けられ、叫びたくても声が出なくなり、無表情で無感情な状態へと追い込まれていきます。身体を凍りつかせることで身を守ろうとしますが、反撃が許されない状況では、感覚を麻痺させ、「死んだふり」をして生きるしか方法がなくなってしまいます。

 

しかし、さらに酷い攻撃や脅威が続けば、頭は混乱し、恐怖のあまり身体は震えます。脅威に対抗するために、自分を隠しつつ、周囲を観察し、脅威が遠ざかるのを待ちながら生き延びようとするのです。それでも脅かされる状況が繰り返されると、心身の緊張が限界を迎え、ついに緊張の糸が切れ、筋肉が極度に弛緩してしまいます。血管が急激に拡張し、血圧や心拍数が急落、脳は虚血状態に陥り、意識は朦朧となり、身体は崩れ落ちてしまいます。

 

このような過酷な状況の中で、心も身体も次第にすり減り、戦うためのエネルギーが尽き果てます。生き生きとした感覚や感情は枯渇し、最後には虚脱状態に陥り、生きる活力を完全に失ってしまうのです。

 

1. 虚脱状態がもたらす心身の崩壊

 

虚脱状態に陥ると、まるで世界の彩りが失われ、身体の中から枯れていくような感覚に襲われます。言葉数が減り、周囲への関心が薄れ、ぼんやりと一点を見つめながら、自分の内側に閉じこもってしまうのです。自分が本当に人間なのか、実感がなくなり、注意力は散漫に、人生の方向性が見えず、恐怖や無力感が心を覆います。手足から力が抜け、身体は疲弊し、まるで鉛のように重くなり、ただの物体のように感じられ、慢性的に「生きる屍」のように生きることを余儀なくされます。

 

この状態が続くと、考える力やイメージする力が失われ、感情も鈍くなり、集中力が極端に低下します。たとえ長時間眠っても、まるで眠った実感が湧かず、心身の疲労は積み重なるばかりです。生活全般のストレスや疲労が蓄積し、身体は次第に委縮していき、重度のうつや自己免疫疾患、慢性疲労症候群のような症状を引き起こすこともあります。

 

慢性疲労症候群は、人間本来の機能が制限されてしまう状態です。筋肉が崩壊し、心臓の働きが弱まり、四肢に力が入らず、身体は怠く重く感じられ、外部の刺激にもほとんど反応しなくなります。心も体も完全にエネルギーを失い、生活がままならないほどの困難に直面するのです。

 第4節.

生きる屍のように:息を潜める日常と心身の限界


まるで死んだように生きている人たちは、普段からエネルギーを失い、できるだけ目立たないように息を潜めて過ごしています。人との関わりを避け、できるだけ自分の存在を消そうと努めるため、外では常に人の顔色を伺い、人と向き合うときは石のように固まってしまいます。そのため、どう思われているかを気にし続け、他人と距離を取らざるを得ません。

 

人前に出ると、どう振る舞えばいいかわからず、過緊張と焦燥感に襲われます。心臓はバクバクし、言いたいことがうまく言えず、話がまとまらないこともよくあります。人と一緒にいると、緊張で身体が固まってしまい、次第にしんどさが増し、何度も繰り返されると力が抜け、フラフラして、家に帰るころにはぐったり疲れて動けなくなることもしばしばです。

 

常に足が震え、身体が思うように動かなくても、日常生活を送るために無理に身体を動かしている状態です。心も体も限界に近づきながら、それでも必死に生き抜いているのです。

 

1. 凍りつきと支配される人生がもたらす苦悩

 

人と向き合うと凍りついてしまい、自分の人生が他人に支配されているように感じることがあります。長時間誰かと一緒に過ごすと、心と体の力が抜け、虚脱状態に陥り、生きながら死んでいるような感覚に囚われます。その中で自分を情けなく思い、自己嫌悪に陥り、やがて憂鬱な気分や希死念慮が頭をよぎり、うつ状態へと進んでしまいます。無気力になり、腕や頭、手足がバラバラに切り落とされたような感覚に襲われることもあります。

 

外界からの刺激に反応しにくくなり、自己感覚が鈍り、筋肉や内臓の感覚がわからなくなることもあります。何事にも喜びを感じられず、楽しむこともできず、希望も見えません。自分の体がまるで作り物のように感じられ、置物や陶器、ゴムのような感覚に変わり、手には手袋、足にはブーツを履いているように錯覚することもあります。まるで別人の手足が自分の体にくっついているような違和感に苛まれ、不快感が募ります。

 

姿勢も崩れ、筋肉が伸びきってしまい、顎が前に出て猫背になり、背中が曲がってしまいます。腕や足はだらんと垂れ下がり、喉は詰まったように苦しく、視線は常に下を向いています。心も体も萎縮し、希望や喜びを感じることができないまま、日々を過ごしているのです。

 

2. 戦う力を失ったときに訪れる心身の崩壊

 

生活全般にわたるストレスと緊張が続くと、戦う力が徐々に失われ、やがて心も体もぼんやりとした状態に陥り、何に対しても反応できなくなってしまいます。成長しても、身体はひ弱なままで、瞳孔は縮小し、心臓が弱り、気管支は狭まり、内臓だけが活発に動く一方で、心の中では何も思い浮かべることができなくなります。

 

胸腺の委縮により免疫機能が低下し、慢性的な炎症が体中に生じます。口内炎ができたり、肌が痒くなったり、胃腸の調子が悪くなったり、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまいます。手足の筋肉は伸び切り、麻痺しているため、身体を動かすのが苦痛です。時には、身体の中に穴が開き、虫に食われているような奇妙な感覚が襲うこともあります。

 

身体は無意識のうちに凍りつき、まるで死んだふりのように動かなくなり、鉛のように重く感じられます。心臓には痛みの塊がこびりついているように感じ、その身体を切り離したかのように、頭だけで生活を送るようになります。動かない身体を無理に命令して動かし、騙しながら日々を送るのです。

 

生活全般が辛くなってくると、頭の中は空っぽになり、何も考えずに生きているだけの状態に陥ります。考える力が失われ、何を思っていたのか、何を考えていたのか、何をしていたのかもわからなくなってしまいます。逆に、頭を働かせようとすると、今度は身体がぼんやりとして気持ちが追いつかず、現実感が失われてしまうのです。

 

3. 相反する感情が心身に与える影響とその解放

 

私たちの身体の中には、怒りと怯えという相反する感情が同時に存在していることがあります。怒りの感情は、人間の身勝手さに対して強く反応し、激しい感情を引き起こすことがあります。この部分の怒りは、自分でもコントロールが難しくなり、ときには他人に対して攻撃的な思考を抱いたり、この世界そのものを恨んだりすることがあります。一方、怯えの感情は、深い鬱状態に陥り、「死にたい」という絶望的な願望を抱くことがあります。

 

治療では、まず身体に溜まった重篤な麻痺を取り除き、手足の筋肉が伸び切って固まった状態から、再び縮めて動かせるようにしていきます。そして、交感神経系を活性化させることによって、心身に溜まったエネルギーを再び動かしていきます。重要なのは、怒りや悲しみなどの感情を言葉にして表現し始めることです。それによって、感情が身体から解放され、手足を自由にダイナミックに動かすことで、身体に滞っていたエネルギーが放出されていきます。こうした過程を通して、心と体の回復が少しずつ進んでいくのです。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室 

論考 井上陽平