第1節.
かつて「多重人格障害」と呼ばれた解離性同一性障害(DID)は、幼少期の虐待や強い心的外傷によって心が耐えられない苦痛を感じた際、その記憶を意識から切り離すために、複数の人格が生まれる疾患です。特に、自分では対処しきれないほどのトラウマを経験した人々が、無意識のうちに自分を守るために別の人格を作り出すことがあります。
この障害をテーマにしたドラマ『ミスターブレイン』では、仲間由紀恵が演じるキャラクターが、解離性同一性障害を装って犯罪を繰り返すという設定が描かれています。この描写を通して、解離性同一性障害と犯罪との関連性について考えさせられます。実際、DIDの患者は、人格が分離し、そのうちのある人格が過去のトラウマに反応して衝動的な行動を取ることがあり、そのために時には社会的なルールを逸脱する行動をとる場合があります。
しかし、ドラマのようにこの障害が常に犯罪に結びつくわけではありません。むしろ、解離性同一性障害を持つ人の多くは、日常生活の中で自己や周囲との関係に苦しみ、犯罪行為を行うことは稀です。実際には、被害者としての過去を抱えることが多く、支援や治療が求められるケースが大半です。
1.心神喪失と詐病の境界を探る
解離性同一性障害と犯罪の関係は、現実の司法においてもしばしば議論の対象となります。特に、被告が犯行時に心神喪失の状態にあったかどうかが争点となり、法的な責任能力を問うケースが多いです。裁判では、精神鑑定が重要な役割を果たし、被告が本当に解離状態で犯行を行ったのか、それとも別の人格を装っているだけで詐病なのかが争われます。
たとえば、解離性同一性障害があると主張する被告が「犯行時に心神喪失の状態にあり、意思能力を欠いていた」と弁護する一方で、検察側は「別人格を利用して責任逃れを図っている」として詐病を疑う場合があります。こうした裁判では、医学的な知識や鑑定が欠かせず、被告の責任能力の有無を巡る法的判断が非常に複雑になります。
2.ビリー・ミリガン事件が問う法的責任の境界
解離性同一性障害(DID)の患者が犯罪を犯した場合、裁判で「別人格の犯行であり自分は無罪である」と主張することがあります。この場合、精神鑑定が行われ、その結果次第では無罪になることもあります。しかし、実際には病気か演技かが争点となり、判断が困難を極めるケースが多いです。解離性同一性障害と犯罪に関連して世界中で有名になったのが、1977年にアメリカ・オハイオ州で起こったビリー・ミリガン事件です。この事件は、作家ダニエル・キイスによる小説『24人のビリー・ミリガン』によって広く知られるようになりました。
当時23歳のビリー・ミリガン(1955年~2014年)は、大学キャンパス内で3人の女性に対する強盗および強姦容疑で逮捕されました。しかし、彼自身には犯行の記憶がなく、そのため事件の真相は容易には解明されませんでした。最初は嘘をついているか、二重人格だと疑われましたが、担当弁護士が彼の異常な様子に気づき、精神科医を呼んで調査が行われました。その結果、ビリーは複数の人格を持つ多重人格者であることが判明しました。調査によって、彼の中には年齢や性格、言語、性質が異なる23人の人格が存在しており、その年齢は3歳から29歳までと幅広く、一つ一つの人格が鮮明な個性を持っていたため、捜査に関わる人々に大きな混乱を引き起こしました。
裁判ではビリーは無罪を言い渡され、その後約10年間にわたり精神病院を転々としました。1991年、彼の精神状態が安定したとして釈放されました。精神科医によれば、ビリーが多重人格者となった背景には、実の父親の自殺や幼少期に養父から受けた虐待、そして母親に対する分離不安が影響していると考えられています。ビリーのケースは、解離性同一性障害と法的責任について深い議論を呼び起こし、世界中の人々に強烈な印象を与えました。
3.人格の崩壊と犯罪のリスク
解離性同一性障害(DID)の人々は、複雑で精巧に構築された人格システムを持っていますが、外部からの精神的ショックを受けると、そのシステムが内部崩壊を起こし、危険な人格が表に出てくる可能性があります。この「危険な人格」は、人間を敵のように認識し、暴力を振るったり、物を破壊したり、窃盗や自傷行為など、破壊的な行動しか取れなくなることがあります。そのため、彼らが犯罪に手を染めるリスクが高まり、時には犯罪行為を好んで行うようになる可能性もあります。
解離性同一性障害を抱える人たちは、しばしば警察沙汰になることがあり、人格が交代することで自分が自分でなくなる感覚や、記憶がない間に何をしているかわからない恐怖に苛まれることがあります。このような恐怖や混乱から逃れられないため、彼らは社会的な行動が制限され、身動きが取れなくなることが多く、慢性的な自殺衝動に悩まされることにもつながります。結果として、彼らは周囲から理解されにくい孤独な戦いを強いられることが多く、適切なサポートが不可欠です。
第2節.
ここからは、解離性同一性障害者の犯罪に限らず、幼少期に逆境体験を経験した人々が抱える生きづらさに焦点を当てていきます。複雑なトラウマを持つ人は、フラッシュバックのトリガーが引かれると、身体が過覚醒状態に陥ったり、凍りつくような反応を示します。こうした時、錯乱や興奮状態、さらには解離状態に陥ることがあります。その結果、過去のトラウマを繰り返すように、被害者や加害者の役割を再演し、犯罪に至ることがあるのです。
トラウマによって引き起こされる攻撃性は、感情が理性を圧倒し、脳の合理的な判断が働かなくなるときに生じます。この攻撃性には、主に二つのパターンが存在します。
一つ目は、交感神経系が優位になり、過覚醒状態に陥る場合です。このとき、脳と身体の神経は脅威を避けようとし、情動脳である大脳辺縁系の働きが強くなります。結果として、闘争・逃走反応が引き起こされ、激しい攻撃性が現れます。情動が理性を圧倒することで、理性的な判断が難しくなるのです。
二つ目は、危機的な状況で背側迷走神経が優位になり、凍りついた状態から過覚醒に移行する際に生じる攻撃性です。この時、爬虫類脳と呼ばれる脳の原始的な部分が支配的になり、周囲を過剰に警戒し、敵とみなした対象に対して飛び掛かろうとする極端な攻撃性が発現します。
これらの攻撃性は、個人がトラウマ体験に基づいた防衛反応として引き起こされるものであり、しばしば解離やフラッシュバックの影響下で無意識的に生じます。解離によって意識が分断された結果、過去のトラウマが繰り返され、犯罪行為に発展するケースも少なくありません。このようなメカニズムを理解することが、トラウマを抱える人々に対する適切なケアと支援に繋がるのです。
第3節.
犯罪者の多くは、過酷な子ども時代を過ごし、虐待や差別、事件・事故に巻き込まれるなど、複雑なトラウマを抱えるケースが少なくありません。例えば、貧しい家庭環境や母親の家出、父親による暴力を目の当たりにしながら育った子どもたちは、幼少期の記憶をほとんど覚えていないことがよくあります。特に、虐待を受けた子どもたちは、親の温もりを感じられず、暴力や暴言に怯えて過ごすため、恐怖に凍りついた状態で生活しています。この恐怖が慢性的な収縮感を身体に刻み込み、ちょっとした出来事でもパニック状態に陥り、自分を見失ってしまうことが多いのです。
また、自分が自分でなくなる感覚の中で、交感神経が過剰に働き、抑え込まれていた感情が突然表に出てくることもあります。このとき、子どもは反抗的で挑戦的な態度を取ることがあり、大人への反発心から反撃しようとします。しかし、この反応がさらなる虐待を招き、子どもの内面的な苦しみは一層深まってしまうのです。このように、トラウマによって形成された行動パターンが、社会との摩擦や暴力的な行動につながる悪循環を生み出していることが、犯罪者の背景にはしばしば存在します。
1.虐待やいじめが生む心の葛藤と行動
彼らは、幼少期から人に対して臆病で、人との関わりで傷つくことを恐れながら生きてきました。そのため、常に神経を尖らせ、自分を守ろうと必死でした。しかし、虐待やいじめを受けた際に、大人に助けを求めたり、自分の苦しみを理解してほしいと訴えても、周囲から理解されることはほとんどありませんでした。その結果、孤独感と絶望感に苛まれ、「自分はどうせ駄目な人間なんだ」と自己否定に陥ってしまいます。
時間が経つにつれ、彼らの心の中には無力感と疲れが積もり、自己価値を感じられなくなります。そして、自分のことがどうでも良くなり、自己破壊的な行動に走ることも増えます。例えば、自分を傷つけたり、普通の人が避けるような困難な状況をあえて作り出すなど、悩ましい状況に自ら身を置くこともあります。これらの行動は、彼らが抱える深い孤独感と、誰にも理解されないという絶望感の表れなのです。
2.幼少期のトラウマがもたらす心の迷路と社会からの逸脱
幼少期にトラウマを抱えた人々は、生活全般が困難になると、思考がネガティブに傾き、不安や動揺がますます強まります。脳や身体の神経は常に危険を察知しようと過剰に反応し、細かなことにも敏感になり、ストレスホルモンが絶えず高い状態が続きます。このような状態では、脳はサバイバルモードに入り、落ち着きがなくなり、集中力も低下します。
さらに、過覚醒状態になると、前頭葉が十分に機能しなくなり、自分や他者の精神状態を読み取る力が弱まり、理性的な判断ができなくなってしまいます。トラウマのトリガーが引かれると、合理的な思考は遮断され、扁桃体が暴走し、抑制力や先を見通す判断力が失われ、無意識のうちに逃走や闘争モードに入ってしまいます。
このような状態では、学業や仕事でつまずきやすくなり、学校という枠組みや家庭生活に適応できなくなります。理不尽な扱いを受けると、自分なんて生まれてこなければ良かったという絶望感に苛まれ、明るい未来を想像することさえ困難になります。次第に、他者から軽蔑されるような行動や態度をとり、社会から逸脱しようとする衝動が強まっていきます。
3.トラウマがもたらす慢性ストレスと犯罪傾向の連鎖
不条理なトラウマによって引き起こされる慢性的なストレスと緊張が続くと、体は次第に縮こまり、凍りついたような状態になります。凍りついた体を持つ人は、自分の身体感覚が鈍くなり、次第に自分が何者かもわからなくなっていきます。自分自身の感覚が失われると、他者の心を理解することも難しくなり、他人の権利や感情を気にかけなくなってしまうことがあります。
体が固まっているため、動かしづらく、ストレスを感じるたびに何者かに押さえつけられているような重圧感に襲われます。体が長時間固まり続けると、内側には膨大なエネルギーが滞り、解放される場を失ったエネルギーは、内側に溜まっていきます。そして、ある時、押さえつけていた何かが外れると、そのエネルギーが一気に噴出し、突き抜けたような行動に出ることがあります。その瞬間、達成感や一時的な解放感を感じることもあるでしょう。
しかし、この過程で犯罪傾向が進行していくと、暴飲暴食や買い物、アルコールや薬物への依存といった行動が増え、自暴自棄な行動や犯罪に手を染める可能性が高まります。そうした行動をとった後、冷静になった自分は、過去の自分を責めたり、後悔の念に苛まれます。
4.医療トラウマが犯罪者を生む:幼少期の痛みが引き起こす深刻な影響
近年では、幼少期に経験した医療トラウマが犯罪者を作り出す一因となっているという説が注目されています。たとえば、デッド・カジンスキーやジェフリー・ダーマーのような犯罪者が、その背景に医療トラウマを抱えていたことが指摘されています。医療トラウマとは、手術中に麻酔が不十分だったり、中途覚醒している状態で手術が行われるなど、身体を無理やり固定された状態で耐えがたい痛みを経験することを指します。これらの経験は、子どもにとって耐えられない恐怖を伴い、身体と心に深い傷を残します。
子どもが手術台で動けなくなり、痛みと恐怖に圧倒されることで、正常な防御反応が阻害されます。結果として、激しい離人症や機能停止状態に陥り、身体は崩れ落ちるように感じます。手術後、こうした子どもたちはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に見られるようなフラッシュバック、パニック発作、悪夢、対人恐怖、過覚醒などの症状に苦しむことが多く、現実世界から逃避しようと回避行動を取るようになります。
特に、痛みに対する異常な恐怖心が生まれ、恐ろしい体験が脳に深く刻み込まれることで、身体は次第に固まり凍りついていきます。痛みを感じることが耐えられなくなると、逆に何も感じなくなるという極端な反応に至ります。感覚が麻痺してしまうと、共感や思いやりといった人間らしい感情も失われ、他者に対する責任感や罪悪感を抱くことができなくなってしまいます。
その結果、自己中心的で冷淡な性格に変化し、人間らしさを感じられないことから、スリルや快感を追求するようになる可能性があります。過去のトラウマを無意識のうちに再現しようとする「生物学的ドラマ」によって、最初は小動物を虐待することから始まり、最終的には殺人に至るケースも存在します。これらの行動は、幼少期の医療トラウマが深く関係していると考えられ、適切なケアや治療が欠かせないことを示しています。
第4節.
解離性フラッシュバックとは、過去に経験したトラウマと似た状況に遭遇した際、現在と過去が重なり合い、無意識のうちに過去の恐怖が目の前の状況に投影される現象です。この状態に陥ると、関係のない人物に対しても、過去のトラウマが鮮明に蘇り、まるでその時の出来事が再び起こっているかのように感じます。同じ臭いを嗅ぎ、同じ身体的感覚を体験し、その結果、当時感じた恐怖や欲求、不合理な衝動に圧倒されてしまいます。この衝動は自動的に行動や態度に表れ、解離状態のままトラウマを再演してしまうことがあります。
特に、幼少期に衝撃的な体験をした人が解離状態にあると、その心身は外部の衝撃に対して過剰に反応するようになります。彼らが再び酷い目に遭った場合、反撃しようとする衝動が身体を乗っ取り、その力が暴走してしまうことがあります。この暗黒の力はしばしば自分より弱い相手に向かい、やがて凶悪犯罪に手を染める結果を引き起こすこともあるのです。
解離性フラッシュバックは、一見無関係な状況でもトラウマが強く反応してしまい、その衝撃によって理性を失い、自分が何をしているか分からなくなることがあります。その結果、攻撃的な行動に至り、取り返しのつかない行動を引き起こす危険性があるため、この現象に対する適切な理解とケアが不可欠です。
1.解離性フラッシュバックが引き起こす性被害と加害行為の連鎖
性加害行為を繰り返してしまう背景には、しばしば幼少期に受けた性被害が関与していることがあります。被害者としての記憶や感情は、どれだけ年月が経っても完全に消えることはなく、特定の状況に直面したときに、再び表面化することがあります。たとえば、過去に受けた性被害に似た感覚や場面、感情に出会うと、解離性フラッシュバックが引き起こされ、現在と過去が交錯するような状態に陥ります。
このフラッシュバックによって、過去のトラウマが鮮明に蘇り、目の前にいる無関係な人に対しても、過去の加害者と同じような反応を示してしまうのです。自分の意思に反して、半ば自動的に行動や態度が過去のトラウマとリンクし、加害行為に及んでしまうことがあります。この解離状態では、本人は現実を認識していないかのように見えますが、実際には過去の恐怖や痛みが再現されているのです。
特に性加害行為に至るケースでは、本人もその衝動を恐怖と感じていることが多く、深い罪悪感や自己嫌悪に苦しみます。加害行為に及んだ後、強い後悔と恐怖から社会との接触を避け、家から出られなくなるなど、孤立を深める傾向があります。
2.背徳感と自己制御の崩壊
痴漢行為を繰り返してしまう背景には、最初は「見つからないから大丈夫」という軽い気持ちから始まることが多いです。しかし、一度その背徳感を味わうと、それが次第に強い興奮やスリルをもたらすようになり、善悪の感覚が麻痺していきます。背徳感と異常な興奮が混ざり合い、次第に理性を押し流し、行動のコントロールが効かなくなるのです。
この状態では、本人が「もう辞めよう」と決意しても、同じような状況に遭遇すると身体と脳が自動的に反応するモードに入り込んでしまいます。過去の経験から、脳が快楽や興奮を記憶しており、その刺激に対して無意識に反応してしまうのです。このとき、理性的な判断を下すべき脳の働きが抑制され、行為に対する自制心が失われてしまいます。その結果、痴漢行為を止められないという悪循環に陥ることが少なくありません。
痴漢行為は単なる一時的な衝動にとどまらず、徐々にそのスリルや背徳感に依存していくことが多いです。この依存状態は、本人が自覚していても、自分では制御できなくなり、犯罪行為を繰り返してしまう原因となります。
3.幼少期のトラウマがもたらす攻撃衝動とその抑制の葛藤
内側から湧き上がる攻撃的・破壊的な衝動に悩む人々の背後には、しばしば幼少期に体験した命懸けの出来事が潜んでいます。例えば、子どもの頃に包丁を持った親に追いかけられた経験を持つ人は、現在でも自分が包丁を手にしたり、親に似た人物が包丁を持っているのを見ると、無意識のうちに当時の生死をかけた恐怖が甦ります。脳と身体はその時の恐怖を記憶しており、現在の環境が安全だと理解していても、理性が納得しないのです。結果として、感情が圧倒され、意識が極端に狭まり、不適切な行動を取ってしまうことがあります。
こうした人々は、恐怖や怒りに支配されることで自分を見失い、殺意に満ちた衝動に飲み込まれる感覚を強く恐れています。情動が暴走し、衝動的な行動を取ってしまう自分自身に対して強い恐怖と嫌悪を抱き、自分の行動が制御できなくなるのではないかという不安が、さらなるストレスを生み出します。このような衝動は、自分を守るために極限の状態で生じた防衛反応であり、長期間にわたり苦しみを与え続けるものです。
幼少期のトラウマによって生じたこの攻撃的なエネルギーは、本人にとってもコントロールが難しく、社会との摩擦や孤立感を深めてしまう要因となっています。
4.失われた愛への恐怖が引き起こす暴走
恋人から別れ話を聞かされた直後に、突如として別人のように豹変し、脅迫や暴言、暴力、さらにはストーカー行為に走る人々の背後には、幼少期に大切な人を失った深い喪失体験が影響していることがあります。例えば、子どもの頃に母親が家を出て二度と戻らなかったという体験を持つ人は、大人になっても配偶者や恋人から別れを告げられると、強い混乱や絶望、苛立ち、無力感、そして孤立感に押しつぶされます。この強烈な不安と恐怖により、身体は凍りつき、心は閉ざされてしまうのです。
このような状況下では、自分の行動を理性で統制できなくなり、解離状態に陥ってしまうことがあります。この状態に入ると、まるで自分が自分でないかのように暴れ出し、物を壊したり、相手を追い詰めて逃げようとする恋人をどこまでも追いかけるストーカー行為に及んでしまいます。本人は、激しい感情に突き動かされる中で、自らの行動をコントロールできず、周囲を巻き込んで混乱を引き起こします。
そして、暴れ回った後に意識が戻ると、ようやく自分が何をしてしまったのか気づき、その行動があまりにも非常識であったことを反省し、深い後悔の念に苛まれるのです。このような感情の暴走は、幼少期の喪失体験に由来する強い不安や孤独感が引き金となり、未解決のトラウマが現在の人間関係において再燃することで引き起こされるものです。
5.レイプ被害者の殺意と不公平な司法の現実
ピーター・ラヴィーンは、強烈な怒りは生物学的に「殺意」へと繋がるものであると述べています。特に、レイプ被害者が事件直後のショック状態から徐々に抜け出す過程で、その怒りが殺意に転じることがあります。彼らの多くは、事件から数カ月、あるいは数年後に、加害者への強烈な憎悪と復讐心を抱き、実際にその衝動を行動に移すことさえあります。このようなケースでは、被害者が殺人罪に問われることが少なくありません。時間の経過が「計画的犯行」として解釈されるため、加害者を殺した女性たちは、法的には殺人犯として裁かれます。
しかし、ラヴィーンが指摘するように、この「生物学的ドラマ」の背景にある被害者の凍りついた状態からの回復過程や、怒りが解放されるメカニズムは、一般にはほとんど理解されていません。そのため、司法においてはしばしば不公平な判決が下されてしまうのです。凍りついた恐怖が解け始めたとき、被害者が感じる痛みや怒りは計り知れないものであり、それが殺意へと変わる瞬間は、まさに人間の生存本能が暴走しているかのようです。
このような感情の暴発は、被害者にとってもコントロールが難しく、また社会的にも誤解されやすいものです。事件直後のショックが和らぐにつれて、被害者が抱える精神的なダメージや感情の揺れは、単なる怒りではなく、生存のために抑え込まれていた本能的な反応の一部として噴出します。しかし、法的な枠組みの中では、これらの複雑な感情や生理的なメカニズムはあまりにも無視されがちです。結果として、被害者が犯罪者として裁かれることに対する社会の理解は不十分であり、そこには明らかな不公平が存在します。
6.問題行動の背後にある生物学的メカニズム
人が危害を加えたり物損などの問題行動を起こす際、その原因は一概に「故意」と断定することはできません。問題行動の背景には、さまざまな生物学的メカニズムが関与している可能性があり、以下のような複数の要因が考えられます。
故意の行動
意識的な選択や意図的な行動として問題行動を起こす場合。これは、冷静な判断のもとで行動が選ばれる状態です。
扁桃体の過剰反応による闘争モード
強いストレスやトラウマが引き金となり、傷ついた扁桃体が過剰に反応し、脳が「闘争モード」に突入します。この状態では、自分の意志とは無関係に、半ば自動的に手足が動き、攻撃的な行動を取ってしまうことがあります。
体が凍りつき錯乱状態になる行動
極度の恐怖やトラウマにより、体が凍りつき、固まったような状態に陥ることがあります。この状態では、意識が混乱し、自分自身をコントロールできないまま、錯乱した行動を取ってしまうことがあります。
生物学的条件に縛られた行動
人間の行動は、生存本能や生物学的な条件によって強く影響されます。たとえば、脳の特定の領域や神経系の過剰な反応が引き金となり、無意識のうちに反射的な行動を取ることがあります。
これらの要因を考慮すると、問題行動は単に「故意」であると決めつけるのではなく、生物学的な視点から十分に検討する必要があります。人間の行動は、神経系や脳の働き、身体的な反応と密接に結びついており、それがどのように問題行動に繋がるのかを理解することが、適切な対応や治療において重要となるでしょう。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平