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反芻思考(ぐるぐる)が止まらない ─ トラウマが引き起こす堂々巡りの思考


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 第1節.

心と体の分断 ─ トラウマが引き起こす解離とその代償


トラウマを抱えながら、常に脅威が身近に存在し、生命の危機を感じる環境にいる人は、常に安心感を得られず、息を潜めて生活しています。その中で、恐怖や怒り、焦り、怯え、悲しみといった感情が渦巻き、心身ともに疲弊し、痛みや麻痺を感じることが増えていきます。彼らは「生きるか死ぬか」のモードで日々を過ごし、生存本能が働くことで、周囲の人々の動きや変化に過剰に反応し、細かな動作や表情の変化すら見逃さず、警戒しています。

 

人の気配を生々しく感じ取ることで、頭の中が休まることなく焦燥感に駆られ、わずかな刺激にも過剰に反応してしまいます。その結果、心は緊張状態にあり、驚愕反応や身体の硬直が起きやすくなります。痛みやストレスが蓄積すると、体は凍りつき、次第に身体感覚が麻痺し、意識は頭の中に閉じこもるようになります。

 

この状態が続くと、現実の人間関係や社会的接触を避け、一人で考え込むことが増え、次第に空想や妄想の世界に没入してしまいます。これは、現実の苦痛から逃れるための無意識的な防衛反応であり、孤立と自己陶酔が進む中で、社会とのつながりがさらに薄れていきます。このような状況では、外界からの刺激が不安や恐怖を引き起こし、心と体は次第に解離していくのです。

 

体が凍りつき、痛みや苦痛から解離することで、最初は頭の中だけで生活する方が楽に感じられることがあります。しかし、長年にわたり過酷な環境に身を置いていると、その代償は大きく、体へのダメージが徐々に蓄積され、関節や体の節々が痛み始めます。これに伴い、心の状態も次第にネガティブに変わり、過去の人間関係に囚われやすくなり、被害妄想や強迫観念が強まることがあります。

 

心が体から離れ、頭の中でのみ生活するようになると、周囲の状況に過敏になり、必要以上に情報を処理しようとするタイプと、妄想や空想にふけって現実から逃避するタイプの二つに分かれます。多くの人は、この二つの状態を行き来し、過度な警戒心と、現実からの切り離しによる空虚感に苛まれるようになります。

 

解離が深刻になると、心(頭)と体の分断が進み、体が自分のものではないように感じられます。身体感覚が消失し、時間の流れが異常にゆっくり感じられ、感情は鈍麻していきます。思考はグルグルと同じことを繰り返し、反芻するようになり、混乱が増すばかりです。この状態では、心身ともに消耗し、現実感が失われ、自分自身がどこにいるのか、何をしているのかさえも分からなくなってしまいます。

 

解離は、一時的には現実からの逃避手段として機能しますが、長期的には心と体の分裂が深まり、現実の人間関係や社会とのつながりを断ち切る要因となります。心と体のバランスが崩れることで、最終的には深い孤立感と身体的な苦痛が残るのです。

 第2節.

頭の中に響く声 ─ 解離が引き起こす自己分裂と迷走する思考


解離症状が悪化すると、体の感覚が麻痺し、自分が自分でない感覚に囚われます。自分自身の感覚が曖昧になり、周囲に合わせなければならないという強迫観念に駆られ、「あれもしなければ」「これもやらなければ」と、頭の中が混乱し始めます。思考はまとまらず、脳内で会話が絶えず続き、頭の中では声や言葉が次々と流れてくる感覚に陥ります。

 

この混乱が続くと、何が「普通」で何が「正しい」のかすら分からなくなり、自分の意思や判断が曖昧になっていきます。結果として、自己判断ができなくなり、自分の人生の選択さえも周りに流されてしまうように感じるのです。解離症状が進行することで、心と体のつながりが切れ、現実感を失い、自分自身の存在が希薄になっていく恐怖を感じることがあります。このような状態では、日常の決断さえ困難になり、自分を見失ってしまうのです。

 

解離症状がある人は、頭の中に勝手に考えが浮かび、言葉が流れるように頭を駆け巡ることがあります。自分自身との対話が絶えず続き、時には意識的に架空の自分を作り出し、その存在と会話することもあります。特に、解離した人格がいる場合、物心ついた時から脳内での会話が日常的になり、他人の声が自分の頭の中で聞こえることもあります。このもう一人の自分との会話は、自分を支えてくれる存在であったり、逆に厳しく指導したり、時には否定的な声として自分を責めることもあるのです。

 

解離を持つ人は、周りの人々も同じように脳内で会話していると思い込みがちです。しかし、これは独特な内面的な体験であり、頭の中の思考や対話が一人歩きしてしまうことが、解離症状の特徴です。さらに、彼らはしばしば「グルグル思考」とも呼ばれる反芻思考に陥り、自分の世界に深く入り込んでしまいます。この状態では、現実から離れて頭の中だけで生活することが多くなり、外の世界とのつながりを失いやすくなります。

 

このような解離の状態では、自己との対話が感情や行動に強い影響を与え、現実と内面的な空想の境界が曖昧になります。自分の思考や会話がコントロール不能になり、さらに深い孤立感を生み出してしまうこともあるのです。

 第3節.

凍りついた体と心 ─ 過剰な警戒と情報処理がもたらす解離の世界


凍りついた体の状態にある人は、人の気配や音、匂い、光、振動といった外部からの刺激に対して非常に過敏になります。神経が常に外界に向かい、危険を察知しようとするため、過剰に情報を処理しようと努力します。この緊張が続くと、頭の中の思考が高速で回転し始め、思考に支配され、今目の前の状況を感じることが難しくなります。

 

さらに、危険を感じながらも逃げ場がない状況では、心身が慢性的な不動状態に陥り、思考が分裂していく感覚に襲われることもあります。その結果、自分に問いかけてくるような声が聞こえ、自動的に浮かんでくる思考に悩まされます。たとえば、「どうすれば楽になれるか」「これをどうにかしないといけない」といった仮定の想像が次々に浮かび、頭の中でぐるぐると繰り返されます。

 

また、自分が他者に与える影響が気になり、不安が頭を支配します。先の見えない不安や、過去の嫌な記憶が繰り返し蘇ることがあり、ひどくなると一日中思考が止まらなくなり、妄想に没入することもあります。特に臨戦態勢にあるときは、頭の中で問題を分析し、言葉を使って解決策を模索しますが、問題が解決しない場合、自動思考がさらに激しくなり、考えが堂々巡りし始めます。こうして、頭の中は混乱し、思考は行き詰まり、解決策が見えなくなってしまうのです。

 

逃げ場がなく、問題が解決できない状況が続くと、体は徐々に冷たく固まり始めます。人間本来のリズムが失われ、体内のエネルギーの循環が悪くなり、心身はボロボロで、動くことすら大変になってしまいます。体がフラフラしてくると、日常生活を送るのも一苦労です。この慢性的な状態が続くと、動けない体と共に、頭の中では嫌な記憶がフラッシュバックし、恐怖や無力感が押し寄せます。

 

こうして、心も体もトラウマの世界に閉じ込められてしまい、現実と向き合うことが難しくなります。体が動かなくなることで、思考も次第に鈍り、常に緊張し続ける状態が続くため、ますます現実感を失っていきます。結果として、日常生活のあらゆる面に影響が出てしまい、外出や人との接触さえも困難になります。

 第4節.

トラウマが導く深い思索 ─堂々巡りする思考と自己探求


トラウマを抱えている人は、苦しい経験をしているからこそ、その経験に根ざして物事を深く考える力を持っています。辛い思いをし、苦しみを知っているからこそ、悲しみや生きる意味、死、ジェンダー、社会、宗教といった問題に自然と目が向きやすくなるのです。苦しみを経験した立場にいるからこそ、人生の根源的な問いを考える機会が多いと言えます。

 

一方で、幸せに生きている人を批判するわけではありませんが、普通の生活を送る人々は、日常の快適さや物質的な満足に目を向けがちです。お金があり、外見を整え、美味しい食事を楽しめる環境が整っていれば、それが人生において十分だと感じることも多いでしょう。そうした環境にあると、生きる意味や存在の根本的な問いについて深く考える機会が少なくなるのかもしれません。

 

トラウマを負った人々の中には、社会を独特な視点から捉えるようになる人がいます。トラウマによって、社会の歪みやひずみがより鮮明に見えてくるため、物事を他の人とは違う角度から考えるようになるのです。これが良い方向に働くか、悪い方向に進むかは人それぞれですが、確かに考える機会が増えることは事実です。

 

ただし、考えること自体は良いことでも、その思考が生産的でない場合、危険を孕んでいます。自己成長につながるのではなく、逆に自分を傷つけるような否定的な考えに囚われ、引きずり込まれることが少なくありません。このような過剰な思考は、やがて自分を追い詰め、精神的な負担となり、最終的にはノイローゼに陥ることもあるのです。

 

トラウマを抱えた人は、思考が堂々巡りになりやすい傾向があります。しかし、その中で「自分の存在意義」や「なぜ人間は生きているのか」といった深い問いに突き当たり、他者よりも自分自身を深く掘り下げて考える力を持っています。自己探求の過程で、生きることの辛さや人生の苦悩について徹底的に思索するため、非常に深いレベルで自分と向き合うことが得意です。

 

しかし、この思考が自責や罪悪感に囚われると、思考はぐるぐると同じ場所を回り続け、鬱に繋がることがあります。悲観的な視点が強くなると、極端な考え方に傾き、新興宗教的な思想に影響を受けやすくなることもあります。これとは対照的に、世間一般の人々は資本主義社会に順応し、深く考えずに私利私欲を満たすことに専念しがちです。彼らは心地よさや消費に焦点を当てることが多く、自己探求や存在意義を考える機会は少ないかもしれません。

 

トラウマを持つ人々は、その深い思考によって、自分自身や人生についての重大な問いに直面することが多く、日常的な思考とは異なる視点で物事を見つめています。この内省的な姿勢が、時には自己破壊的な方向に進むリスクがある一方で、自己理解を深め、現実を超えた真理を探ろうとする力にもなります。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

論考 井上陽平

 

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解離という病理

解離というのは心理的な問題というより、危険が差し迫った時に、生物学的な凍りつき/死んだふりのメカニズムで起きます。不快な状況で、逃走失敗に終わると、体が固まり凍りついて、感覚が麻痺していきます。

自己感覚の喪失

解離症状が重くなると、心が体から離れ、自己感覚が喪失して、身体や情緒、時間の捉え方や思考に影響が出ます。そして、自分が自分で無くなり、感情が鈍麻し、時間感覚が分からなく、心の時間が停止します。

内なる魂の呼び声

内なる魂の呼び声とは、発達早期の外傷体験によって、心と身体が統合できなくなっている人の心の防衛が人格化し、無数に解体・分裂した霊性のひとかけらが、永く厚い沈黙の中から問うた言葉のことです。