自傷行為とは、自分の身体を傷つける行為や、毒物を摂取する行為を指しますが、これは自殺とは異なる行動です。自殺が「死にたい」という強い意志を伴うのに対し、自傷行為は自分を傷つけることで一時的に痛みや感情を和らげたり、自己の存在を感じるために行われる場合が多いです。
自傷行為の背景にはさまざまな要因が絡み合っており、虐待やトラウマ体験、孤独感、解離状態、心身の凍りつき反応、麻痺状態、自己嫌悪、そして過剰な自意識などが挙げられます。これらは、個人が心の痛みを他者に表現できず、内側に抱え込み続けることで、身体にその苦しみを転化する行動として表れるのです。
また、自傷行為を行う人の背景には、境界性パーソナリティ障害、双極性障害、複雑性トラウマ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、解離性障害、うつ病、統合失調症、さらには知的障害など、さまざまな精神障害が関与しています。これらの疾患に共通しているのは、自己の感情や自己イメージに対する極度の混乱と、対人関係や生活への適応の困難さです。そのため、彼らは内面に抱えた感情や葛藤を身体に表すという手段で、自分自身とのつながりを確認しようとします。
自傷行為は必ずしも「死にたい」という意図を伴うわけではありませんが、それでも自殺リスクと密接に関連しています。自傷行為を行う人は、その背後に強い感情的な苦痛や孤立感を抱えており、自分を傷つける行為を繰り返すうちに、無意識のうちに死への衝動に近づくことがあります。実際に、自傷行為を行った人が一年以内に自殺を試みるリスクは、一般的な人々の50〜100倍に達するという報告もあります。これは、自傷行為が一時的な感情の逃避やストレスの緩和を目的としていても、繰り返されるうちにその行動がエスカレートし、最終的には自殺に至る可能性が高まるためです。
自傷行為と自殺には明確な違いがあるものの、いずれも個人が抱える深い苦しみを反映しています。自傷行為を行う人たちは、自分の感情をコントロールできない恐怖や、誰にも理解されない孤独感に押しつぶされ、外部からの支援を必要としているのです。従って、自傷行為を軽視せず、その背後にある痛みや葛藤を理解し、適切な支援を提供することが求められます。
自傷行為に至るまでの流れは、個々の体験や感情に大きく依存しており、さまざまなパターンが存在します。例えば、友達からリストカットのやり方を教えてもらい、好奇心や同調から始める人もいれば、他者の関心を引きたい、誰かに自分の苦しみを理解してもらいたいという願いから自傷を選ぶ人もいます。また、自分を落ち着かせる手段として行う人、あるいは自分がまだ生きていることを実感するために行う人もいるのです。
ここでは、支配-服従の人間関係が自傷行為に与える影響と、それに伴うトラウマの生物学的メカニズムに焦点を当て、身体的な反応がどのように自傷行為につながるのかを探ります。
支配的な人間関係において、特に支配する側からの暴力や言葉による支配がある場合、服従する側の人は自分の感情や欲求を押し殺し、心身に大きな負担を抱えることが多くあります。支配者からの暴力的な行為や言動は、被害者に恐怖と無力感を与え、逃げ場のない状況に追い込むことがあります。
このような状況において、被害者は自分を守るために、生物学的な防御反応が活性化します。具体的には、交感神経系が活発になり、心拍が上昇し、筋肉が緊張するなど、闘争・逃走反応が引き起こされます。しかし、支配的な関係においては、この「逃げたい」「戦いたい」という反応を現実的に行動に移せない場合が多いため、身体が凍りついた状態になります。
この「凍りつき反応」は、脳の中でも特に古い領域である爬虫類脳によって支配されています。この部分は、生存に関わる本能的な反応を司っており、極度の危機に直面した際には、身体が動けなくなる「凍りつき」や「停止」といった反応を引き起こします。この過程で、体が緊張し続けることで、無意識のうちに心身に大きな負担がかかり、慢性的なストレスや不安感を引き起こします。
これらの反応を感じながらも、どうすることもできない無力感が続くと、自分の存在や感情を確認するために、自傷行為に至ることがあるのです。自傷行為は、自分の身体に直接的な感覚を与え、心の中の「凍りつき」を打破しようとする試みでもあります。つまり、傷つけることで、失われた自己感覚を取り戻そうとする行動なのです。
自傷行為は、トラウマの影響を受けた心身が何とかして自己を調整しようとする反応でもあります。体が極度のストレスや過緊張状態にあると、そのエネルギーが体内に蓄積され、何かをして解放しようとします。このとき、支配-服従の関係性で強く感じてきた無力感や恐怖が、自分自身をコントロールする手段として自傷行為を選ばせるのです。
自分の身体に傷をつける行為は、自分自身が少なくとも身体を「所有している」という感覚を取り戻すための手段となります。こうした行為は、感情や身体の反応をコントロールし、痛みを通じて短時間だけでも「解放」されたように感じることがあります。
自傷行為は、その背後にさまざまな心理的な動機や感情が潜んでいます。自分自身を傷つける理由は単純ではなく、深層にある感情や未解決の問題が影響していることが多いです。以下に、自傷行為の主な動機を探り、その背景にある心のメカニズムについて解説します。
1. 周囲の目や気を引こうとして
自傷行為は、周囲の関心を引くために行われることがあります。自分の苦しみや孤独感を誰かに理解してもらいたいという願望が、痛みを伴う行動に結びつくことがあるのです。しかし、この動機はしばしば誤解され、適切なサポートが届かないことも多いです。
2. 儀式として行う
繰り返し自傷を行う人は、特定の手順や儀式的な行動を伴って行うことがあり、これによって心の安定感を得ようとします。自傷は彼らにとって、一時的な安心感や制御感を取り戻すための行為となり得ます。
3. 自分という存在を認識するための手段
自傷行為は、感情が麻痺し、自分の存在がぼんやりと感じられなくなったとき、痛みを通じて「自分はここにいる」と実感するための方法となります。痛みは感覚を呼び覚まし、現実に引き戻す手段として機能するのです。
4. 痛みによって救いや快感を求める
皮肉なことに、痛みが心の苦しみからの解放や、一時的な快感を与えることもあります。自傷を行うことで、心の重圧や不安を一瞬でも和らげることができるという感覚に囚われ、行為が繰り返されることがあります。
5. 攻撃衝動を自分に向ける
外部に向けるべき怒りや攻撃性を、内に向けて自分自身を傷つける形で発散することがあります。他者を傷つける代わりに、自分を罰する行為として自傷が行われるのです。
6. 現実逃避の手段
現実の問題や感情に直面できないとき、痛みを感じることで一時的に逃避する手段として自傷行為が選ばれます。痛みは一瞬の間だけでも他の感情を遮断し、自己を保つための防衛機能として働くことがあります。
7. 自分で自分を切り離すために
自傷行為は、心の痛みや不快な感情から自分自身を切り離すための行動として行われることもあります。この行動によって、感情を遠ざけ、自分を守ろうとする防衛反応が生じるのです。
8. 身体反応を止める
激しい感情やストレス反応が身体に現れたとき、自傷によってこれらの反応を抑え込むことができます。体の緊張や過剰な興奮を一時的に鎮めるための手段として、自傷が行われることもあります。
9. 言葉にできない感情を表現する
心の中で言葉にできないほど複雑な感情や苦しみを抱える人にとって、自傷行為はその感情を外に表現する一つの方法です。痛みを通じて、自分の中の感情を「見える」形にすることで、自己の存在を確認しようとします。
10. 過緊張や痛みから解放される
心の中に溜まった過緊張やストレス、痛みが蓄積されると、それを解放するために自傷行為が行われることがあります。痛みを与えることで、心身の緊張を一瞬だけでも緩和しようとする試みです。
11. 感情のコントロール
自傷行為は、抑えられない感情をコントロールしようとする手段でもあります。自分の感情を制御できないと感じるとき、自傷を通じてその感情に終止符を打とうとすることがあります。
自傷行為には、さまざまな動機が絡み合っていますが、どの理由にせよ、それは本人が抱える深い苦しみや葛藤の表れです。治療や支援が必要なのはもちろんですが、まずはその動機や感情に対する理解が、回復への第一歩となるのです。
自傷行為に悩む人々は、人生に対する絶望感や、心の中にある耐え難い感情や痛みを一時的に忘れようとして行動に走ることが多いです。自傷行為は、感情をコントロールできなくなったときの一種の自己防衛の手段として現れますが、長期的には心身に深刻なダメージを与えるため、克服することが重要です。
治療では、マインドフルネス、瞑想、ヨガといった身体に焦点を当てたアプローチが効果的です。これらの方法は、自分の身体感覚に意識を向け、一瞬一瞬の呼吸や筋肉の動きに集中することで、感情の嵐から距離を置く手助けをします。特に、体の「伸び縮み」や呼吸に意識を集中させることで、リストカットなどの衝動を和らげ、自分の身体をコントロールする感覚を取り戻すことが目指されます。
自傷行為を克服するには、自分の身体を自分のものとして受け入れ、それをコントロールできるという感覚を養うことが不可欠です。また、ストレスを引き起こしている環境から一時的にでも離れること、安全な場所に身を置くこと、そして「自分はそのままでいい」と自己肯定感を育むことも大切です。何より、自分に対して「そんなに頑張らなくていい」と理解することで、自分を追い詰めずに生きられるようになります。
自傷行為からの脱却は一朝一夕にできるものではありませんが、適切なアプローチとセルフケアを通じて、少しずつ自分を取り戻すことが可能です。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平